2009年02月11日

政治家って何?必要なの?

誰もが皆、もしやと思い、まさかと疑いを否定できない
この疑問は誰もが思うものですよね?

そもそも政治家は民主主義の象徴である。
古来より政治は時の権力者がこれを独占して人民は支配
を受けて、それがあたりまえだった。
明治維新を経て、近代立憲国家となっても政治家はあくまで
天皇を中心とした官僚支配のなかの民主主義の言い訳にされ
形だけのものだった。

そんな時代を経験して政治は主権者である国民の信託を
受けた政治家がおこない、官吏は政治家(国会)の決めた
法律、政治家の中から選ばれた内閣に従い行政事務を遂行
するものとされた。

しかし現在、行政の意思決定が国会や内閣の閣議で行われ
ているとは思えない。
確かに法律を制定できるのは国会だけだし、内閣総理大臣は
国家議員の中から選ばれるし、多くの政治任用(公務員試験
を受験して公務員になったもの以外の人間を公務員に任用
する役職。国務大臣、副大臣、いろいろな行政委員会の議員等)
の公務員が一般の公務員より上級の権限をもつ役職として
いることからも政治家の存在意義はまさに民主主義のプロセス
として重要な役目を担っていると考えられなくもない。
だが、決定権が上級職である政治任用職に与えられていても
意思決定までのプロセスが官僚によってすでに「決定」され
ている状況であり、それに「不可」を下すことにできる
政治家がどれだけいるだろうか?
いや、「不可」とすることが政治ではない、もっといえば
「可」or「不可」の決定を下すことのできる政治的判断力を
持ち合わせている政治家がどれだけいるだろうか?

古代から支配階級とは権力をもつが、実支配をおこなって
いたのは周りにいた取り巻き連中であり、支配階級は「可」
と印鑑を押すことで支配欲を満たしていた。
今でいえば、政治家は古代の支配者と同じであり、実支配を
行っている官僚の意思決定のまま所信表明に「可」とし
予算案に「可」とし法案に「可」とし表向きはさも民主主義の
代表者であるかの如く振る舞い、政治的駆け引きを政治と
勘違いするにいたるのである。

結局民主主義のプロセスなんて空想なんだ、実際は官僚という
支配者がいて国民は騙されているだけなんだ・・・
そう絶望せざるを得ない、それが今の「政治家」です。
じゃあ、そんな政治家いないほうがよっぽどうまくいくんじゃ
ないか?
実際、国際社会では政治家というものがいない(民主主義的
プロセスを経ていない者が国権を掌握している)場合が多々
あり、特に問題もなく国政が運用されているようにみえる場合
もある。
じゃあ、政治家なんて必要なの?
ここまで虚仮おろして持ち上げようがないが
必要であってほしい。あるべきだ。

国民により選ばれ、その意思を反映させる政府を構成するために
議論しその意思を下達して官僚に行わせるプロセスを実行する者を
「政治家」と呼ぶ。
国家には色々な問題が山積している。これをすべからく政治家に
議論させていたのでは現実的に物量が足りないし、選挙により
政治任用により短期に職務を変更しなければならない政治家が
専門的知識を全て会得しねければいけないのも現実的ではないから
もちろん官僚にその一翼を担わせることは必要だが、意思決定には
そのプロセスから政治家が議論を尽くし、注目されていようが
いまいが議論し、その中に政治的駆け引きがあってもそれも政党
民主主義政治だから十分議論して、その上で「可」「不可」の
判断をする。
政治任用の上級官吏はいっぱいいるのだから、所信表明も予算案も
官僚の言いなりにならず、来たものを20回でも30回でもつき
返してなっとくいくまで形にして、さらに議会で議論を尽くす。
「時間がない」「人がいない」は言い訳にならない。
もしそのために人が必要なら、本当に必要な政治任用官吏なら
もっと増やしてもかまわない。
とにかく人減らしをすればいいという短絡的な行政改革には納得
できない、その一方で民主主義プロセスに必要な上級政治任用
官吏の数ばかりが減らされたのではたまったものではない。

政治的駆け引きをするなというのではない、それも議論を向上させ
るプロセスの一つになるなら、どんどんやればいい。
1院制を唱える人もいるが、それこそ官僚のおもうつぼである。
政治家が政策のプロセスからそれを監視して、議論して、議会で
決定するという一連の流れをおこなうにあたり順調である必要はない
スピードが必要な問題もあるので配慮も必要だが、それも政治的
判断によって政治を行うべきであり、ただその点をもってのみで
スピードの一院制にするべきであるということは早計であると
いわざるを得ない。


長々と書いたが、民主主義が絶対的に優れている政治方法である
ということは残念ながら言い切れない。
しかし、封建、君主政治で基本的人権の遵守や国民のための政治が
行われたことはただの一度もない。
政治家が官僚の上位に位置するこの政治方法が間違っていないと
証明するためにも、政治家に考えを改めてもらうしかない。
そうでないと、いつまでも今の政治体制で日本がうまく運営され
るとはとても思えないのである。
posted by 空条錠太郎 at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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